葬儀の心得・仏壇・位牌
仏壇とはなんでしょうか
私の田舎の父親は必ず毎朝 仏壇にご飯、味噌汁、漬物、おかずをお供えし 線香をあげます。 私と妹と母親はなにもしませんでした。 よくよく父親を観察してますと もじゃもじゃなにか言ってます。 そう「故人達と対話」しています。 幼くして亡くなった妹、母親、父親、ご先祖様。 まー、できの悪い息子(私の事)をなんとかしてくれと お願いしてるのかもしれません。
仏壇の歴史は古いものです。
今から約1300年ほど前
仏教に傾倒した天武天皇は
諸国家ごとに仏舎を設け、仏像および経巻を安置し、 以って三宝を供養すべし
との詔を出します。
これは、日本最初の仏壇といわれる 法隆寺の「玉虫厨子」です。 こんなたいそうな物つくれるのは やはり役人か貴族だけです。 一般の庶民にはまったく浸透しませんでした。
室町時代に、禅僧達により 派手な葬儀、位牌など中国儒教に根付いた 仏教様式が持ち込まれます。 また、浄土真宗の蓮如さんが 一般家庭でも仏壇を持つことを勧めました。 一方、「書院造」という住宅形式が確立され 「床の間」がつくられるようになり そこに、仏画、仏具を置いて礼拝するようになります。
一般の家庭に仏壇が置かれるようになったのは 江戸時代からで、寺請制度により檀家制度が確立されてからです。
仏壇の中をよくよくみてみると お寺さんの本堂にそっくりです。 お寺さんと同じ本尊が須弥壇の上に安置されています。 つまり、ミニミニお寺さんです。 しかし、私の父にとってはそんな事はどうでもいいこと。 妹や母や父と会話する装置でありますから。
もっと極論してしまえば 父親にとっては本尊はなんでもいいはずです。 たまたま大日如来が鎮座されていますが 大日如来より先祖と会話する 先祖の為、般若心経をあげる。 仏教よりも先祖崇拝の日本的思想は現代までうけつがれ 今も、高価な仏壇売れつづけています。 仏教、日本的先祖崇拝のあわせ技ですね。 あいまいですが、仏壇の説明は以上で終わります。
位牌とはなんでしょう
これも、日本的先祖崇拝の気持ちと 仏教と、儒教と、いろんなものがごっちゃになっています。 まず、仏教的「輪廻転生」の考えからすれば 位牌など必要のない事になります。 人々は(中有、中陰、バルド)の期間を終えると 六道のなにかしらに生まれ変わるからです。 ですから、火葬が可能なのです。 「輪廻転生」すらしない浄土真宗 (西方十億万土の「西方浄土」にいったきりになる) では、位牌に「魂」がやどるなどとんでもない と考えます。
日本的な先祖崇拝の感じを端的に言い表す言葉として 「あの世」、「草葉の陰」、などがあると思います。 故人は確かに死んでしまったが どこか近いところから、われわれをみているはずだ という確信です。 お盆には先祖はきゅうりの乗り物(馬)にのって飛んできます。
位牌は、形式的には中国、儒教の神主(せんじゅ)、木主(もくじゅ) というものが、どうもその祖先らしいです。 これは日本の現在の位牌そっくりな形だったらしいです。 先祖廟に祀ってあったそうです。 これが、禅宗の僧によって 派手な葬儀とともに日本に 紹介されました。 室町時代初期の南北朝のころ(14世紀)といいます。
一般の家庭で仏壇が普及し 位牌が置かれるようになるのは 江戸時代以降です。 故人の「魂」は「お墓」にもあれば、 「位牌」にもあり、「あの世」にもあり 「草葉の陰」にもあり・・・・・。 ありとあらゆるところから 我々を見ている 仏教徒としての戒名を書いてある 木片だけとしたならば、多くの日本人は位牌を このように大切にしてこなっかたのではと思います。
ちなみに浄土真宗ではどうするのか? 法名は法名軸にかかれ 魂だの霊だのそんなものが宿るはずが無い と考えます。 しかし、現場に立つ我々みてますと 魂が宿らないはずの法名軸を お客さんとっても大切にしています。 これは、大学で教え、教義の研究などしている 偉い先生にもわかって欲しい問題です。